2019年12月16日月曜日

第123回【戦争に負けるとはどういうことか⑦】

前回までゼミ生たちの論文をご紹介してきました。今回からは、年度末に私が学生たちに講義しました総括の講義の内容をご紹介致します。

今年度(2015年度)のテーマは「戦争に負けるとはどういうことか」でした。

「戦争になったらどうするか」というアンケートに対する日本人の答えの中でかなりの多数を占めるのが、「戦わずに降参する」というものです。日本人は戦争の悲惨さを今や知ってはいても、敗戦の悲惨さは知らないのではないでしょうか。戦争がいかに悲惨であるとしても、戦争に負けることは、戦おうと戦うまいと、戦争それ自体に負けず劣らず悲惨であるに違いありません。今年は、それを確認してみたいと思いました。例年のことですが、テーマに対する答えがあって、ゼミをスタートしたわけではありません。このテーマについて1年間考え続けた末に辿り着いた「仮説」をお話しします。

近代以前の戦争は、ヨーロッパにおいては主として、宗教戦争であり、それ故、善と悪の戦いでした。どちらが勝とうが負けようが戦争それ自体が極めて残酷なものでした。最大の宗教戦争であった30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約が一つの目安となりますが(これについては、『ウェストファリアは終わらない』で詳しく論じました)、これ以後の近代においては、戦争とは、紛争を処理する政治の道具と位置づけられるようになりました。交戦国に正邪の区別はなく、紛争に見通しがつけば戦争をやめ、交戦諸国は日常に復帰したのです。

戦争の勝者は、紛争の争点に関して有利な処理をし、それ以上に敗戦国に求めることしませんでした。それ以前の、勝者が何をしても許される——たとえば、略奪をし、男を皆殺しにし、女を連れ去るというような——時代とはまったく異なった戦後だったのです。敗者は、紛争の争点については勝者に譲るにしても、戦争が終われば元の立場に戻り、その上で、争点について再び起こるかもしれない次の戦争に備えることとなります。

戦争をした両者が、まったく平等に戦後の国際政治に復帰し、何事もなかったようにとはいきませんが、あたかもそうであるかのように国際政治の日常が継続されたのでした。戦争と平和の結節点に平和条約が存在しました。平和条約においては、戦争において争われた争点の処理が明示され、条約締結以降は、その戦争についての責任を再び問うたり、そこに明示された以上の権利を戦勝国が求めたりということは戒められました。つまり、平和条約とは、戦争を完全に終わらせるだけでなく、戦前の国際政治と戦後の国際政治を改めて結び直すものだったのです。交戦諸国は、まさに、戦後、日常に復帰したのです。

こうした戦争の在り方は、概ね、日露戦争まで続いたのではないかと思います。すべてを変えたのが、第1次世界大戦で、戦争そのものの激しさもさることながら、「戦後の様相」を激変させるにあたって最も影響を及ぼしたのは、アメリカの国際政治への参入でした。現代の「戦後」を考えるためには、アメリカを考えないわけにはいきません。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。

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