2020年5月16日土曜日

第133回【ロシアの生理⑥】

前回の終わりで、ロシアの、目的のためには手段を択ばないニヒルさという指摘を致しました。そうした実例をまったく別の分野で取り上げたゼミ生がいました。オリンピックと宇宙開発がそれです。

オリンピックを取り上げたゼミ生は2人いましたが、ひとりはロシアで2014年に行われたソチ・オリンピックを取り上げました。

ソチ・オリンピックは、プーチン大統領肝煎りで誘致したものでしたが、それにはいくつかの狙いがあったということです。第1に、前回のバンクーバー冬季オリンピックでの失敗を挽回すること。ロシアはバンクーバーで金メダルが3個だったのですが、ロシアにとってこれは屈辱的な結果だったようです。これを地元で挽回することが目標とされました。

また第2に、ソチが位置する北カフカスは、チェチェンなどを始めとする政治的不安定を代表する地域ですが、国際社会に対してそれが収束したことを知らしめることも大きな目標でした。ただ、オリンピック誘致の時期には収まっていたテロなどがオリンピックの時期には復活していて、史上最大と言ってもよいような警備の中でオリンピックは行われました。

そして第3に、何よりも国威発揚が目指されました。プーチンは「スポーツでの勝利は100の政治スローガンよりも国を団結させる」と述べ、「スポーツは模擬戦争である」とも言いました。それ故、勝つことが選手たちの至上命題であり、それがドーピング問題へとつながっていったのです。目的が手段を正当化した最近の例です。

もう一人のゼミ生は、そのドーピング問題を取り上げました。

ロシアのドーピング問題は2016年のリオデジャネイロ・オリンピック直前に発覚しました。直接的には、ソチ・オリンピックでの勝利至上主義がこれを招いたものとされていますが、より根の深いものと考えなければなりません。ロシアのドーピング事件は、選手個人が起こしたものではなく、ロシアという国家が組織的に行ったということに大きな特色があります。

ゼミ生は、ロシアのドーピングとは、選手やコーチの利己的な勝利に対する欲望の表れという単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであると断じています。

ロシアの宇宙開発もスポーツと同様に政治との関係は切っても切れないものです。ロシアの宇宙開発はアメリカとの闘争の中で行われてきたことは間違いありませんが、スプートニクの成功でアメリカのメディアが大騒ぎになるまではソ連のメディアや国民においては関心がかなり薄かったといいます。アメリカが大騒ぎして初めてソ連メディアがそれに反応し、そしてソ連国民が熱狂することになりました。日本人にも似たところがあるような気がしますが、ロシア人は外からの評価に非常に敏感であるようです。宇宙開発は、ソ連がアメリカと対等に競争する主要な分野のひとつとなりました(軍事とスポーツに加えて)。そのことがロシア人の大国意識を刺激したのです。

このゼミ生は、しかし、ロシア人の宇宙開発が単にアメリカに対する対抗心のようなものからのみ行われたわけではないことも指摘しています。つまり、極めて理想主義的なロマンがロシア人の心の中にあったことに目を向けています。ソ連の宇宙開発の初期に先頭に立ってそれを行った科学者の代表がコロリョフという人でしたが、コロリョフは「エチカ」という人類の遠い未来への希望を間違いなく胸に抱いていたと言います。「エチカ」とはツィオルコフスキーが1911年に言ったと言われる「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という予言をベースにする哲学です。

ロシア人のこうしたロマン主義は大変重要ではないかと思います。こうしたロマン主義と大国意識や西欧に対する劣等意識がロシアの国際社会での行動の奥底に存在するように考えられるからです。

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