2020年7月15日水曜日

第137回【ロシアの生理⑩】

2016年度の総括の講義のご紹介を続けます。

さて、それでは、ロシアとは何かについて考察してみましょう。
ロシアについてもっとも目立つ特徴は、露骨な「大国主義」であると思います。ロシアは自己認識として当然に自国を大国であると信じ、それ故、他国がロシアを大国として認識し処遇することを当然のことと思い、常にそのようであることを望んでいます。ロシアが必ずしも下に見られているようなことのない場合でも、one of themとして扱われることに不満を抱いているように見えます。たぶん、プーチンはG8にいてもなお、どこか不満だったのではないでしょうか。

この強烈な「大国主義」がどこから来るかを考察することが極めて重要です。私は、その背景には、「劣等感」と「臆病」が潜んでいると考えています。

ロシアの建国がいつかについては諸説あります。10世紀末(998年)の「ルーシの受洗」がロシアの始まりだという人もいれば、1380年のクリコヴォの戦いでの勝利による「タタールのくびき」からの開放をロシアの成立と考える人もいます。いずれにしても、長年に渡って繰り返し遊牧民からの侵略を受けることで、ロシア人の心の中には、ロシアの長い国境線を侵して外から常に敵が侵入してくるというイメージが根付いているのであり、それ故、そうした侵略に常に備えるために、自分たちは強くあらねばならないし、他国を簡単に信じてはならないと考えるようになったように思います。
14世紀に、ロシアがようやくタタールからの侵略の恐れにけりをつけた頃、ヨーロッパでは近代が徐々に芽生え始めていました。ロシアにとって、ヨーロッパのような近代化がそれ以後常に課題となります。それ故、ロシアにとってヨーロッパは常に憧れの存在でした。社交界ではロシア語ではなくフランス語が使われたほどです。サンクトペテルブルグは、ヨーロッパの都市をモデルにして作り上げた人工都市ですが、それは、ヨーロッパへの憧れを表すと同時に、ヨーロッパに向けて、自分たちの近代化された姿をアピールする存在でもあったのです。日本の鹿鳴館を思い出させます。

しかし、ロシアの近代化は、現在に至るまで成功していません。近代化の必要を痛感しながらなお、ロシアの土着性がその実現を阻んでいると言われています。この「近代化の失敗」が強烈なヨーロッパへの劣等感を生み出しています。

タタール=モンゴルからの侵略を退けた後にも、ロシアは西側から介入と侵略を受けてきました。ナポレオン戦争、ロシア革命への干渉、ヒトラー・ドイツの侵略などです。これらの介入・侵略に耐え、それを押し返したものこそ「ロシアの土着性」(これを描いたのがトルストイの『戦争と平和』でした)で、皮肉なことに「近代化の失敗」は近代的なヨーロッパからの侵略への盾となったのです。つまり、民衆や兵士の生命にまったく頓着せずに、ただ最終的に勝利することのみを目指した戦略がこれによって可能になったのです。後進性は、時に、強さに転換するのです。ベトナムがアメリカを退けたのも同じ理由からでした。

「近代化の失敗」が侵略に対しては有効に機能したとしても、ロシアがヨーロッパに憧れ近代化を求めていたことは確かです。ここに猛烈な「劣等感」が生まれます。心の奥底にある劣等感を少しでも拭うということが、ロシアの外に向けての行動に顕著に現れていると私は思います。今年のテーマについての仮説のひとつは、一個の国家をあたかも一個人が考え行動するかのように理解することができるはずだ、というものですが、個々の人間がそうであるように、国家も国民としての無意識の記憶に支配されながら行動をしていると考えられます。

ロシアの大国主義や外の世界に対する積極的な活動や、オリンピックを始めとするスポーツにおける実績、宇宙開発への意欲などはすべて、内なる劣等感に発するものと理解することができます。ロシアが、世界で大国として認められたいと熱望し、大国として認められる可能性のある活動を積極的に行おうとするのは、ロシアがナチュラルに大国だからなのではなく、内なる劣等感を克服するためなのです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。




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