2020年7月30日木曜日

第138回【ロシアの生理⑪】

この500年は明らかにヨーロッパ基準の時代でした。世界中のすべての国がヨーロッパの諸国に支配されるか、それをモデルとして国家作りをするという時代だったわけです。これを「近代化」と呼ぶとすれば、近代化に成功した国もあれば、失敗した国もあります。ロシアはかなり古くからヨーロッパを目指し、そして、それが実現しない代表的な国です。いつまでも近代以前の帝国的な土着性を拭うことが出来ずにいます。それに対して、日本は「近代化」にもっとも成功した国であると言えます。100年以上前の日露戦争の結果が日露の対照的な差を現したものだったのかもしれません。

現代のイスラムの活動は、この近代のヨーロッパ基準に対抗するものと理解できます。それ故、軍事力によっては雌雄は決しないと考えるべきです。社会とその社会を支える精神の魅力こそが勝負で、「戦う」ことの意味を私たちはよく考えねばなりません。

中国やロシアにも同じことが言えるかもしれません。中国についてはここでは詳しく論じませんし、中国の社会のあり方が近代ヨーロッパに発する社会のあり方に比較してどのように異なり、どこが優れているのかを中国自身がまだきちんと外の世界に向かって提出できているとは思えません。ロシアについては、最近、ユーラシアニズムという考え方が広く受け入れられるようになりつつあるように見えます。ロシアの拭い難い後進性の元凶こそ「帝国」的な国家のあり方なのですが、ヨーロッパに発するリベラリズムに対する防壁こそ「帝国」なのであり、リベラリズムの前進を停止させるためにもユーラシアに帝国を再び築かねばならないという議論が出てきています。ウクライナやベラルーシ、カザフスタンやウズベキスタンといった旧ソ連の諸国とより一体化しようとする最近のロシアの動きは、こうした主張を背景に持っているわけですが、こうした動きの背景にも、ロシアの心の中にあってけっして消え去ることのない劣等感と臆病とが交錯しているはずです。

大げさに言えば、ロシアの臆病と劣等感には1000年の歴史があります。たぶん、拭い去ることは出来ないDNAレベルのものと思います。ロシアはいつだって間違いなく大国なのですが、他国に自国を大国として認めさせたいと強烈に意識する大国主義は、けっして自国を満足に導くことなく、常に「舐められているのではないか」という不安を掻き立てます。その源泉が「臆病」と「劣等感」であることはすでに論じました。厄介な存在です。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。




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