2015年7月15日水曜日

【第18回】主権の再検討④

さて、国民から主権を委託され、それを行使する政府の役割とはいかなるものでしょうか。この役割を最低限の役割とそれを超える役割に分けて考えてみましょう。

政府の最低限の役割のうち対内的なものは「秩序」の維持です。警察や裁判所、刑務所に代表される役割がそれです。

政府は主権を行使して国内に秩序をもたらさねばなりません。言い換えると、治安維持が政府の最低限の役割と言えます。
また、政府の最低限の役割のうち対外的なものは「独立」の保持です。外交や軍隊が担う役割と言えます。政府は外国からの侵略を跳ね返し、干渉を斥けなければなりません。国家の防衛こそ政府の最低限の役割です。

以上のように、国家主権(国民から政府に委託された主権のこと)を担う政府が果たさなければならない最低限の役割が治安維持と防衛というわけです。

19世紀のヨーロッパの国家はこの最低限の役割のみを果たすに過ぎなかったとして「夜警国家」と呼ばれ、後に批判を受けました。20世紀の福祉国家を基準とすれば、確かに、この時期の国家の役割は非常に小さかったと言えます。

19世紀も終わりに近づき、ビスマルクのドイツなどでは、後の福祉国家の方向へ政府の役割が拡大する傾向が見られるようになりましたが、それが決定的になるのが1929年に始まる大恐慌以降の時代です。国家は最低限の役割を超えた役割を果たすようになります。

現実には多様な制約があるものの、論理的には、際限なく国家の役割は拡大する傾向があります。20世紀は、国家の役割が、ある意味、無限に拡大した100年だったと言えるかもしれません。
対内的には、「福祉」の向上に政府は努めるようになります。最低限の人権の保障から限りない豊かな生活の実現まで、あらゆる分野に国家が介入をするようになります。福祉国家の実現がその目標となります。社会主義、共産主義はその究極の姿ということが言えると思います。

対外的には、国家が主導して「国益」の増進に努めるようになります。軍事的、経済的、あるいは、国家の名声という点で、国家が対外的に活発に活動をするようになります。

こうした最低限の役割を超えた政府の活動には限界があります。国民をどこまでも豊かにできる政府は存在しませんし、国際社会において、自国の国益のみを次々増進させることのできる政府も存在しません。必ず限界があります。

また、国家が国民生活のあらゆる側面に介入することがいいことだとは言えません。
古来、大きな政府か小さな政府かという議論がありますが、政府の適正な規模の問題には普遍的な答えはありません。国によって異なりますし、同じ国でも時代が違えば正解は違ってくるのが普通です。

国民から政府に委託された国家主権とは、以上のような機能を果たすわけですが、全体に渡って、原則として、内政不干渉原則が適用されます。国家主権とは最高至高の権力なので他からの干渉を受けないのです。
現在の国際政治秩序においては、この内政不干渉原則は、国家間関係における最重要の原則のひとつとされています。ただ、現実の国家には、その力において非常に大きな格差が存在していますから、内政不干渉原則が常に守られているということはありません。むしろ、常時破られている原則だと言ってもいいくらいです。

政府は、以上のように、国民から託された国家主権を、国民に成り代わって行使することで「秩序」を維持し、「独立」を守り、「福祉」の向上に努め、「国益」を追及しているのです。
このような国家を主権国家、あるいは、国民国家と呼びます。
主権国家という言い方は、他からのあらゆる干渉を斥けるというイメージを喚起する呼び名、国民国家とは、民主政によって主権が政府に委託され、その政府と国民が一体をなしているというイメージを表す呼び名であると思います。
現代においては、これらがさらに融合した形で国家が存立しているので、主権国民国家と呼ぶのが適切であると考えます。
次回、主権確立の要件について論じ、私なりの結論に達したいと思います。

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