2016年5月30日月曜日

【第39回】保護する責任①

現代の若者たちは子供の頃から、これからの時代に絶対に必要なものは「ITと英語」だと繰り返し教えられてきたものと思います。私もそう思いますが、私はこれに「歴史」を加えたいと思います。特に、自国の歴史を知らない者は国際社会において使い物にならないのではないかとすら思います。できれば、その上で、他国の歴史も十分に知ることが望ましい。
ところが、現在の大学では、英語を苦手とする学生は珍しくありません。私は、ゼミを始める前に、学習院で10年ほど「外国書購読」という授業を行っていたのですが、受講者は年々減りました。初期は20人以上の受講生がいたものですが、最後の方では受講者が2人などということもありました。今の学生は、どうも、英語に立ち向かうよりは逃げる方を選んでいるように思いますし、大学の側も、必ずしも英語と格闘しなくても単位を満たせる逃げ道を用意しているように思います。

2009年度の柴田ゼミは、テーマを「保護する責任」とし、テキストを英語で書かれた国連の報告書としました。テキストのお話は後ほど致しますが、テキストを英語にした結果、ゼミ生は激減、前年度受講していたゼミ生11人のうち、2009年度にも引き続き受講したゼミ生は5人、新しく受講を希望した学生は、なんと、2人でした。
英語のテキストを読んで、できれば、それをベースに議論をするというのが2009年度のゼミの目論見だったのですが、「英語を読む」というハードルは案外高いということを実感しました。昔の学生と比較して今の学生は・・というようなことを言うつもりはないのですが、幾分がっかりしたことは間違いありません。柴田ゼミでは、テキストや課題として英語の本を用いたのは、これが最初で最後となりました。残念ではありますが、これが現状ではあります。

大学院のレベルであれば、1週間で洋書の1章を読んで、毎回それについて議論するということも、もちろん、可能なわけですが、英語の本を通して1冊読んだ経験のないゼミ生にこうしたことはまったく無理だと考えました。できれば、ゼミを通じて、主題について熟考するのみでなく、英語の実力も少しは上げるようなやり方を考えなければならないと思いました。そこで、国連の報告書が70ページあまりだということも考慮して、逐文的にきちんと訳しながらゼミを進めることにしました。学生の側から言うと、進度は遅いけれど、英語を絶対にきちんと読むことが課題ということになります。毎週、3ページ程度の英語を一文一文きちんと訳さなければいけないのです。これは、英語を読むことに慣れない学生にとってはなかなかきついことであったと思います。実際、4年生が2人落伍しました。しかしながら、こうした作業を通じてしか英語の実力がついていかないことも事実なのです。

結局、2009年度のゼミで最後まで粘り強く英語と格闘をしたのは、すべて受験組で、推薦入学者はすべてドロップアウトしたのでした。


※このブログは毎月15日、30日に更新されます。



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