2016年6月17日金曜日

【第40回】保護する責任②

「保護する責任」とは聞きなれないものと思います。すでにご紹介しました通り、2008年度のテーマは、難民を主題とするものでした。2009年度は、その主題を引き継いで、難民よりさらに悲惨な状況下に置かれる可能性の高い国内避難民をどのようにして援助するかについてのアイディアを検討してみようと思ったのです。

そもそも難民とは、紛争や災害などを原因として、自国の国境を越えて他国の領域に避難した人たちのことを言います。現代の国家は、自国民を徹底的に保護する義務を負っているのですが、内戦の最中や大規模な災害の直後においては、国家は必ずしも効果的に国民の保護をすることができません。他国の保護を求めて国境を越える人びとが出ることになります。また、国家によっては、保護を与えるべき国民に対して不当な弾圧を加えるような場合もあります。個々の国民は、このような国家の権力に対しては無力ですから、国家による弾圧から逃れるためには国境を越える必要があります。このようにして難民は発生します。

そして、重要なことは、難民とは、単なる物理的な人間のことではなく、法的な立場だということです。国境を越えた人のすべてが難民でないことは、観光客がそうでないことを考えれば理解できます。難民として認定されるためには、その人が何らかの明示的な理由でその人の祖国の保護を受けることが出来ないということが、他国や国際機関から認められなければいけないのです。もっと具体的に言えば、国境を越えて入った国家に、自分が難民であることを証明し(できれば証拠を挙げて)、認定される必要があるのです。そうした審査を、時に、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のような国際機関がすることもあります。

難民が、生身の人間というよりは法的な立場なのだということを知ることは極めて重要です。こうしたことの背景には、国家主権という概念と、内政不干渉という国際政治上の大原則とが存在しているからです。

内政不干渉原則とは、他国が主権国家の内部のあらゆることに口出しをしないという国際政治における最も重要な原則です。超大国や大国が弱体な小国の国内問題に様々に口出しをし、あるいは、場合によっては手出しをすることが珍しくないことは事実です。しかしながら、実際はそうであっても、内政不干渉原則を正面切って否定する国家は存在していません。それ故、肝心な場面を迎えると、案外、この内政不干渉という原則は守られるものなのです。国際政治において、もっとも捉えどころのない、しかしながら、もっとも重要な原則が内政不干渉原則なのです。

この原則の下では、国境の内側のあらゆる事柄に対処するのはその国の責任においてなされることで、他国はそれに一切関与しないこととなります。しかし、原則とはコインのようなもので、それには必ず裏側が存在します。内政不干渉原則がコインの表側だとすれば、裏側には難民保護の原則が存在しています。国家は、内政には干渉しない義務を負っているわけですが、国境を越えて自国にたどり着いた難民を保護する義務も持っているのです。もちろん、先ほども述べましたように、難民とは法的な立場ですから、国境を越えた人びとのすべてが難民なわけではありません。ひとつだけ言えば、経済的な理由を以って国境を越えた人は難民とはみなされません。内戦、激甚な災害、政治的迫害などが典型的な難民認定の基準になります。

難民は、難民として認定されれば、たどり着いた国家によって、その国家の国民と同様の保護を与えられます。そうした保護を与えることが、現代においては、国家の義務となっています。

要するに、現代に生きる人間は、ジャングルで生身の裸で生きているわけではなくて、広い意味で国家の保護の下に生きているわけです。原則として、国籍を持つ自国の保護を受けるわけですが、それが叶わない場合で、かつ、国境を越えた場合には、たどり着いた他の国家の保護を受けます。主権国家の側からこれを表現すれば、国家には国民を保護する責任があり、場合によっては、難民としてたどり着いた他国民を保護する責任もあるということになります。拙著『ウェストファリアは終わらない』で指摘したことですが、私たちが、このような時代に生きているということを知ることは極めて重要です。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





0 件のコメント:

コメントを投稿