2016年6月30日木曜日

【第41回】保護する責任③

国家は、現代においては、国民を保護する義務を負っています。世界中のすべての人がどこかの国に所属している、つまり、国籍を持っていることを考えると、ひとりひとりのすべての人がどこかの国家に保護をされているということになるのですが、残念ながら、すべての国家が平等に十分に国民を保護できる状態にはありません。すべての国民を十分に保護できる国家から、その保護が不十分な国家、そして、そもそも国民を保護する意思のない国家まで、現代の世界には多様な国家が存在しています。

このように考えると、国家によって十分な保護が与えられている国民と、国籍を持つ国家以外の国家から保護されている難民と、そして、どこからも保護されていない人びとが世界には存在しているということが分かります。どこからも保護をされていない人びととはどのような人びとでしょうか。自国の国境を越えず、すなわち、母国に留まり、しかも、その国家が人びとに保護を与えられないか、与える意思のない状態に置かれている人々ということになります。現代における人間の生において、国家の提供する保護が決定的に重要であるとすれば、それを欠いているという点で、もっとも悲惨な状態に置かれている人々と考えることができます。

国際社会は、こうした人びとを無視したり放置するほど冷たくはありません。昔であれば、こうした人びとが世界のどこかにいることを知ること自体なかなか困難でした。現代においては、情報はより迅速に伝わります。ジャーナリストなどの果たす役割は今も昔もたいへんに重要であると言えます。問題は、いかにしてそうした人びとに手を差し伸べるかということなのですが、実は、これが案外難しい。

国内に保護を受けることのできない避難民が存在する国家が、他国や国際機関の介入を認めてそれを迎え入れるのであれば、話はかなり簡単です。しかし、こうした避難民が存在するということは、そこに国家の正常な機能を失わせる何らかの紛争などのような事態が起きているからで、通常の場合、その国家は他国や国際機関が国境を越えて自国民に影響を及ぼすことを嫌います。また、国家自体が国民の保護を履行する意思がないのであれば、そうした国家はそもそも他国からもそうした援助を受ける意思を持たないのが普通です。
国家の保護を受けられない悲惨な状態の中にいる人びとの前に立ちはだかっているのは、物理的、経済的、軍事的障害というよりは、実は、法的な原則の問題なのです。たとえそれが人道的に正しい行為であるとしても、内政不干渉原則を侵して他国に干渉することは、現代の国際法秩序の下では、許されないことなのです。

2009年度のテーマ「保護する責任」とは、こうした状態を突破しようとするアイディアだと位置づけることができます。「保護する責任」は、英語で、「The Responsibility to Protect」と言い、国連では、これを略して「R2P」と呼んでいます。これまでにも、内政不干渉原則の例外を求める試みが繰り返し国連において議論されてきました。「人道的介入(干渉)」などがもっともよく知られたものかもしれません。R2Pはその最新のもので、たぶん、もっとも有力なものであると思います。もちろん、これまでも有力とされる概念が出ては消えしてきたことを思えば、R2Pもそうした消え行く概念の一番新しいものなのかもしれません。

国境を越えて援助を与えることに伴う困難の最大のものは、こうした行為に軍事的な介入が不可欠であるということです。援助する側の安全が確保されなければ援助は効果的に避難民に届けることができないわけですが、この安全の確保には、軍隊の存在が不可欠です。国家が国民に保護を提供できない状況の最大の問題は秩序の欠如なのですが、秩序の回復には軍隊の効果的な介入と駐留が欠かせないものとなります。日本のような平和な社会では通常意識されないわけですが、秩序の背景には効果的な暴力の存在が不可欠です。つまり、人道的な干渉には軍事的な側面が不可欠で、ところが、他国の軍事的な介入を易々と受け入れる国家は存在しません。こうした介入をいかに当該国家に認めさせるか、あるいは、その国家が認めないとしても、どのようにしてそうした軍事面を伴う介入・干渉を現在の国際社会で正当化するか、が問題の核心となるわけです。

R2Pのような概念が国連で議論され続けるのは、以上のような理由からです。

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