2017年2月15日水曜日

第56回【1989 時代は角を曲がるか⑪】

日本は明治維新によって近代化をスタートしました。もちろん、この近代化が他の諸国に比較して非常にうまくいった理由は、江戸期あるいはそれよりも前に培われた日本人の持つ特性が近代化と親和性を持っていたからだと考えることができますから、明治維新よりももっと前に近代化の始まりを設定することも可能だという議論には一理あります。ただ、これをやってしまうとどこかで線を引くということができなくなりますので、私はやはり日本の近代化は明治維新に発すると考えるのがひとまず適切ではないかと思います。

重要なことは、近代化はすでに終わったという事実です。これには賛否両論あると思いますが、私は70年代の早い時期に日本の近代化は終了したと考えています。つまり、60年代の高度成長が日本の近代化のラストステージであったと思うわけです。よく教科書にはオイルショックによって日本の高度成長は終わりを告げたなどと書かれていますが、私はそうは思っていません。偶然のタイミングでオイルショックが起きたことは事実ですが、日本の高度成長が終わったのはオイルショックが起きたためなどではなく、近代化が概ね終了したからだったのです。

高度成長を1955年から70年までの15年とすると、この15年をはさんだ時代の変化には驚くものがあります。すなわち、1950年の日本人の庶民の生活とは、70年以降の日本人の生活よりもはるかに江戸時代の日本人の生活に近かったものと思います。この時代は、一般の家庭にはまだテレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車もありません。蛇口からお湯は出ません。江戸時代と違って確かに電気は通っていましたが、その電気を使う製品がほとんどなかったのです。たぶん明かりだけだったのではなでしょうか。だから今でも「電気をつける」とは明かりをつけることを意味するわけです。家庭にある機械はたぶんラジオくらいだったのではないでしょうか。そのラジオのない家庭も珍しくはありませんでした。

高度成長の15年間で日本人の生活は一変しました。1950年の日本人の生活が遠い祖先の生活と大差ないものであったのに対して、高度成長後の日本人の生活は、それとはまったく異なったものへと変貌しました。高度成長こそ明治維新以来の近代化の頂点であり、明治維新から1970年までの日本こそまさにモダン・ジャパンと呼べるものだったのです。ですから、それ以降の日本はそれより前の日本とは本質的にまったく異なった存在、何か別物であるわけです。これがポスト・モダン・ジャパンだと私は思うのです。

ポスト・モダンとは何か。これを定義することはなかなか難しいように思います。

ポスト・モダンとは何か。まず第一に、国家の役割の低下、あるいは、「国家の役割の低下という意識」を挙げることができると思います。私たちは心のどこかで、国家を強烈に意識することを忌避しようとしています。これがポスト・モダンのひとつの特色です。私たちはすでにナショナリズムの時代を遠く過ぎて、それとは異なった心持ちの中で生きています。

第二に、国家だけでなく、家族のような個人を強く縛り付ける社会組織と淡い関係しか取り結ばないような、個人がより中心的な役割を果たすような考え方を身に付けています。家族の崩壊とか親子関係の変化とか、あるいは、友人同士の関係の変化などが言われますが、これらの変化の根底には、ポスト・モダンへの移行が存在しています。私たちはモダンとはまったく異なった時代を生きているのです。そこにおける時代の構造や社会のルールや生き方のモデルがまだ確立されていないだけです。

私たちはモダンにおけるよりはるかにばらばらの人生を生きています。自由な生活を享受しています。便利な道具を身に纏っています。はっきり言いますが、後戻りはできません。私たちがやらねばならないことは、ポスト・モダンにおける新しい生き方を確立することなのです。つかみどころのないポスト・モダンの時代で私たちはどのようにしたらこれまでの時代を生きた人たちに勝るとも劣らないような幸せな生活をしていくことができるでしょうか。私は、この意味でなら、現代は明らかに過渡期であると断言します。


次回もこの講義を続けます。

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