2017年5月15日月曜日

第62回【彼らはなぜ核兵器を持つか②】

ゼミクシィにおけるK君への回答を続けます。

K君の取り上げたクルド難民(国内避難民)救出問題は重要な問題で、重要な問題のほとんどがそうであるように、国際政治の根本問題に繋がっていました。

K君がゼミに所属していたこの年のテーマは「難民は夢を見るか」というものでしたが、そもそも難民とは、K君も言っている通り、国境を超えて他国に逃れ救出を求める人たちのことです。クルド人のほとんどは当時イラクの国境を超えることが出来ずイラク国内において難民的な状況に陥っていたのでした。

国際政治には重要な原則がいくつかありますが、そのひとつが「内政不干渉」原則で、内政に干渉しないことと難民を保護する義務とは実は同じコインの裏表になっています。逆に言えば、ある国家の内側でその国民がいかに悲惨な状況に置かれているとしても、それらの人々を保護するのはその国家の役割で、他国はこれに干渉してはならないわけです。人権といった普遍的な価値が真に普遍的であるとされる以前は、つまり、第2次大戦以前は、ある国家の内部でいかに悲惨なことがあっても他国はそのことに関与しませんでした。しかし、人道的な立場からしてそれではあんまりなので、そこから逃れ出てきた人たちは積極的に保護しなければならないとされていたのです。しかし、世界人権宣言のような、人権が国家にかかわらず普遍的なものだという価値観が国際社会で一般化してからは、仮に国境を出ていなくても非人道的なことが行われていれば諸国家は行動すべきではないかという考え方が徐々に広がってきました。今はまだ過渡期であると思います。

K君は、内政不干渉原則を絶対的と言っていますが、私はそうは思っていません。ちなみに、「国際政治に答えはない」を別の言葉で言えば、「国際政治に『絶対』はない」ということになります。

当時の国連難民高等弁務官は緒方貞子さんで、国境を超えて、つまり、内政不干渉原則を侵して、イラクのクルド国内避難民への援助を決断し、実際にそれを行いました。この行為はある人たちからは賞賛され、ある人たちからは批判に晒されました。私は、こうした行為がこれまでの国際政治の構造を変えるものとなるのではないか、と、正直言って、知的興奮を感じながら事態の推移を眺めました。

これらすべての問題は突き詰めると「主権」をいかに捉えるかという問題に収斂していきます。思い出してみましょう。柴田ゼミの初年度のテーマは「主権の再検討」でした。2年目が「正しい戦争」。3年目が「難民は夢を見るか」。4年目が「保護する責任」。この4年を通じて私が考えたかったのは、国家と戦争と主権と国民と人権の関係だったと思います。K君のテーマは柴田ゼミのツボだったと言えます。ちなみに、5年目の去年のテーマは「1989 時代は角を曲がるか」というもので、5年間を総括するものとなりました(ゼミ生とは関係ないですが)。私は、この5年でこの主権をめぐる問題に自分なりの答えを出したつもりです。今年の1月には現4年生に、そのまとめとなる、この500年の歴史の見取り図の話をしました。ここでそれを詳しく述べられませんが、500年前に角を曲がった人類の歴史はあと500年は角を曲がらない、最近曲がったように見えるのは表面だけの話だ、という話をしました。あれで、世界史に目が啓かれていればいいんですがねえ。(ぜひ『ウェストファリアは終わらない』を読んで下さい。)

さて、その「主権」です。主権国家は主権国家であるが故に、他国からの干渉は受けない、というのがこれまでの国際社会のルールでした。これは近代のヨーロッパに発したルールですが、第2次大戦後までは、ヨーロッパ以外に主権国家がほとんど存在しなかったために、ヨーロッパ以外の地域ではヨーロッパ諸国が好き勝手に振舞いました。それに楯突いたのが日本で、日本は見事に砕け散りましたが、しかし、その後の世界はそれまでの世界と一変し、アジア・アフリカ諸国が独立を果たし主権国家となり、ヨーロッパ諸国が作り出したルールをかつての植民国だったヨーロッパ諸国に強いるという関係が出現することになったわけです。つまり、独立した新興主権国家は、平和5原則や平和10原則に見られるように、ヨーロッパ諸国に対してヨーロッパで生まれた価値である内政不干渉原則を声高に浴びせるようになったわけです。

 しかし、世界を見渡せばすぐに分かることですが、内政干渉は日常茶飯事です。今起きているリビアの問題でも、イギリスやフランスはずぶずぶに干渉をしています(近くその作戦「人魚の夜明け」についてゼミクシィに書きます)。つまり、主権という原則や内政不干渉という原則は言うほどにもなく脆弱なのです。多くの弱小国が主権尊重や内政不干渉を事ある毎に叫びますが、それはそうしなければそれらが守られないか、そうしてもなお守られていないことの証明なのです。要するに、国際政治に「絶対」はないのです。絶対を目指せば、巨大な軍事力が必要となり、それが再び絶対を突き崩す事態を招く、つまり、絶対はない、というのが国際政治なのです。

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