2017年9月30日土曜日

第71回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑪】

学生たちの論文を引き続きご紹介致します。

中国を取り上げた学生もひとりでした。
中国が初の核実験を行ったのは、196410月のことで、まさに東京オリンピックの真っ只中のことでした。

今とは違って、当時の中国は極めて貧しい状態の中、かなりの無理をして核兵器開発を行いました。「ズボンを作る金がなくても核兵器を作ってみせる」とは、当時の有名なセリフですが、中国はなぜそこまでして核兵器獲得を目指したのでしょうか。

中国共産化の直後、中国はアメリカとの友好関係を模索した証拠があります。しかし、アメリカは共産化した中国と友好関係を持とうとはしませんでした。むしろ、共産中国を警戒し遠ざけたのでした。これに対して中国もまた警戒を強め、対アメリカの自衛を強烈に意識するようになります。

また、中国のソ連との関係も微妙でした。ソ連は兄弟国として中国に核の技術の援助を行ったかと言えば、むしろそれを渋りましたし、脱スターリン以後は、共産主義の路線としても中ソは別の道を歩むようになっていきました。中国はソ連依存を脱却し、ソ連の弟としてソ連の下に立つようにはなるまいと決意し、それが独自の核兵器開発へと繋がっていったのです。

毛沢東は「人に侮られないためには原爆を持たねばならない」と言って、国際社会で政治的発言力を持つためには核兵器を持つことが必須であると考えていました。また、核実験後の中国は、まさにお祭り騒ぎで、国民の結束を促す手段としても核兵器は大きな効果を持ったのであり、こうした狙いもあったものと考えられます。

この中国の核開発に触発されて核兵器の開発を開始したのがインドでした。インドを取り上げた学生は2人いましたが、インドの核兵器が対中国向けに開発されたものであるという点で2人の意見は一致しました。

インドは、紛れもない大国です。対中国という点からだけでなく、大国として国際社会で十分な発言力を持つためには核兵器を手にしなければならないと考えていたように思われます。そもそもインドは、明白な不平等条約たるNPTに加盟していません。NPTが不平等であり、インドが大国であり続けるためには、そこに加盟せず、核兵器を独自で獲得する道を選んだのです。ただ、中国の存在は圧倒的でした。中国との間には、今も続く国境問題もありますし、当時はそれが実戦になった場合もあったのでした。

インドの核兵器獲得とそれの保持の理由は多様ですが、核兵器保有が大国の資格であり、当面の敵である中国がそれを獲得する以上インドもそれを獲得しなければならないと考えたことは明らかです。中国と同様に、建国以来パキスタンがインドの最大の仮想敵国であるのは間違いありませんが、インドが核を獲得した動機にはパキスタンの存在はかかわりがないというのが定説で、これには間違いがないように思えます。

さて、そのパキスタンですが、ひとりのゼミ生がそれを取り上げました。

核保有国は、現在のところ、非常に限られていますが、保有国の中でもっとも無理をして核開発を行ったのがパキスタンであるように思います。パキスタンの核兵器開発には、中国や北朝鮮が絡んでいたり、そこから核兵器の技術が闇市場で取引されたりと、単にパキスタンが核兵器を開発し保有するという以上の問題があるのも事実です。

ただ、パキスタンが核兵器を開発した動機は、もっぱらインドの核兵器獲得で、それに対する対抗措置であったと学生は分析しました。たぶん、正しいのではないかと私も思います。ゼミ生は、さらに踏み込んで、インドが核を放棄すれば、パキスタンも同様に放棄するであろうと論じています。双方同時に、ということが仮に可能であれば、これは実現するかもしれませんが、パキスタンの核保有の動機がもっぱら対インドであるのに対して、インドの核保有の動機がより多様であるために、これはなかなか実現が困難であると思います。それよりも、私は、パキスタンからの核の技術の流出が今後も大きな脅威であるように思います。

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