2018年7月30日月曜日

第91回【20世紀の悪魔・民族自決⑪】

ゼミ生の論文の紹介を続けます。
2人のゼミ生が、他のゼミ生とは異なった視点からの考察を提出しました。大変に興味深いものでした。

ひとりは、チベットのダライ・ラマの提出する「中道のアプローチ」を取り上げました。チベットが自決を当然にすべきひとつの独立した民族であることは明らかですが、中国による侵略を受け、その支配下にあり、その現状を変化させられないということもまた自明であると思います。チベットは、まさに命を懸けて中国と戦い、自決の権利を取戻し、主権を持つ国家を打ち立てるべきでしょうか。

ダライ・ラマも、1987年までは中国からの分離独立を主張していました。しかし、中国がそれを許さないことはあまりにも明らかで、それ故、1988年になって大きく方針を変更しました。その際に提出されたのが「中道のアプローチ」というもので、これは、国家としては独立することなく、それでもなお民族自決を達成するという発想です。「中道のアプローチ」は、欧州議会議員に対する講演の中で明らかにされたもので「ストラスブール提案」とも呼ばれます。

ダライ・ラマは、この講演の中で、中国に対してチベットによる「高度な自治」を要求します。すなわち、外交と軍事を中国政府に委ねる代わりに、その他の事項に関してはチベットによる自由裁量を要求します。信教の自由や宗教教育、使用言語や歴史教育などがその中核となります。これが「中道のアプローチ」と呼ばれるようになったのです。

なぜ「中道」かと言えば、それは自決を要求しながらも独立を断念する主張だからです。ダライ・ラマは、それまでに主張していた分離独立を諦め、現実と妥協し、独立ではない「高度な自治」を目指すこととしたのです。逆に言えば、それほどまでに強い中国の態度、つまり、チベットに対して自決どころか思想・良心の自由や言論の自由さえも許そうとしない態度の頑なさに絶望し、独立を諦める代わりに、より高い自治をせめて認めてほしいと訴えるようになったわけです。

ゼミ生は、「中道のアプローチ」に対するチベット人たちの態度を様々に検討しています。この妥協を許容する人々と、若者を中心とするこうした妥協に絶望し、過激な独立運動に向かう人々がいることを指摘しています。確かに、絶望した多くの若者が焼身自殺するという悲劇も近年続いています。
民族自決は、現在の国際社会では、否定できない正義と言って構いませんが、それは必ずしも容易に達成されるものではありません。カタルーニャに見られるように、どちらかと言えば寛容な政治制度を持つヨーロッパにおいてさえも、分離独立を果たすことは容易ではありません。まして、チベットが相手にしているのが中国であることを考えると、自決を果たしての分離独立は夢のまた夢で、現在のチベットの置かれた状況を考えると理解できるように、最低限の自治すら認められないというのが現実です。

そうした現実があるにもかかわらず、ダライ・ラマの提出する「中道のアプローチ」は、21世紀の国際社会を考える場合に、重要なアイディアを提出していると私は考えます。民族として自決はするが、分離独立は果たさず、既存の国家の中で高度の自治を獲得し、それによって、血で血を洗う戦いを回避しながら、実質的に独立に近い成果を獲得する。ここに、私は、果たすべき理念と変え難い現実の、わずかながらの接点を見出すのです。ヨーロッパにその実例があります。
次回、その実例を取り上げたゼミ生の論文をご紹介致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





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