2018年12月5日水曜日

第99回【ひとを殺す道具①】

2013年度の柴田ゼミのテーマとそこでの議論をご報告致します。
ゼミに臨むに際して、ゼミ生に対して以下のような話を致しました。
前回(98回目)で述べましたように、この時期はまだピンカー教授の著書を読んでおらず、20世紀の評価につきましては古いままにしてあります。ただ、10万人当たりの数字での統計的な理解ではなく、規模それ自体の理解としては、20世紀が大規模な「殺人」を繰り返したことは否定できません。ここでは、2013年における私の議論をそのままにしてご報告を続けることと致します。

2012年度のテーマもその一環だったのですが、たぶん数年がかりとなる現在の柴田ゼミのテーマは、20世紀がなぜあんなにも野蛮で残酷な世紀になったのかということなのです。
2011年度は「核兵器」がテーマでした。20世紀が残した最大の難問(difficulties)のひとつです。核兵器の双子の弟、原発も20世紀が残した難問であることに今や日本人のすべてが気づいています。2012年度のテーマは「民族自決」。20世紀が血塗られたものとなったのは、共産主義やら民族自決やらといったイデオロギーが人々を戦いへと駆り立てたからだと私は思います。

2011年度は、「核兵器」というテーマに対する「結論」を考えながら、2012年度のテーマ「民族自決」のことをこれまた考えていたのですが、実は、その時点では、私自身がまだ私自身の問題意識に気が付いていない状態だったと思います。2013年度のテーマを決めたのは2012年秋になってからですが、自分で自分の関心に気が付いたのは、その時になってからのことです。


大きく言うと、「大量殺人のハードとソフト」に現在私は関心があります。20世紀は人類史上最も野蛮な世紀で、最も大量に人間が殺された100年間でした。なぜそうなったかについては、様々な議論がありえますが、私は、大量殺人のための「ハード」と「ソフト」が出揃ったからだと思います。言うまでもなく、核兵器は大量殺人のハードの典型的なものです。2012年度に取り上げた民族自決は、独立を求める多くの人々の大量殺人を肯定するソフト、つまり、イデオロギーとして機能した側面を否定できません。このように考えると、2011年度のテーマ(「核兵器」)と2012年度のテーマ(「民族自決」)は実は繋がっていたのです。2013年度のテーマを考える中でようやくそれに気が付きました。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


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