2019年1月30日水曜日

第103回【ひとを殺す道具⑤】

ゼミ生の中には、従来から存在する兵器であるものの、それが実際にはどのようなものなのかよくわからない、という兵器をとりあげた者もいました。そうした中でも、潜水艦と対潜哨戒機と魚雷はそれぞれが密接にかかわった兵器です。

潜水艦は、どちらかと言えば、地味な印象がありますが、イギリスで刊行される海軍年鑑であるジェーン年鑑では、戦艦や空母を差し置いて、筆頭に記載されています。戦艦がすでに第2次大戦末期には時代遅れになりつつあったことは周知のことですが、空母も最近では、高高度から防ぎようのない高速で飛来し空母を破壊する最新のミサイルの存在から、その戦力としての存在を疑う議論もあります。もちろん、アメリカの空母群の存在は強大ですし、中国も空母をさらに持とうとしていますし、日本も空母(例によって、呼び名は別のものにするようですが)の保有に向けて動き出しました。こうした戦艦・空母とは異なって、潜水艦の重要性は不変であるようです。

潜水艦の最大のポイントは「隠密性」にあります。潜水艦は、自己の存在に誰からも、場合によっては味方からも、気付かれることなく運用され、時が至れば、敵への攻撃を開始できなくてはなりません。「隠密性」が失われれば、潜水艦とは単なる標的に過ぎなくなる存在なのです。

潜水艦は、隠密性が確保される限り、敵国の艦船や、敵が沿岸国であれば、その沿岸にまで接近して確実に攻撃を成功させることができます。攻撃という点では非常に強力な兵器であるということが言えますが、何度も言いますように、それは隠密性が確保された場合の話です。それ故、潜水艦の運用上は、隠密性の確保に最大の労力を割くことが必要になります。

その潜水艦を探し発見し、場合によっては、それを攻撃する存在が対潜哨戒機です。哨戒機は、ソナー(パッシヴとアクティヴがあります)によって、海中の音を分析し、潜水艦の存在を探索するのですが、ソナーによって敵潜水艦を探索するという点では、潜水艦が行っている仕事とまったく同じです。

現代においては、潜水艦の性能が非常に高くなり、また、日本の海上自衛隊などは、その運用が極めて優れているために、哨戒機が潜水艦を発見することは奇跡に近いと言われています。それでも、哨戒機はわずかな可能性を求めて哨戒活動を行っているのです。ちなみに、哨戒機は潜水艦のみならず、自国海域の他国艦船への哨戒も行っています。

潜水艦が他の潜水艦や艦船を発見し、もし攻撃を加えるとすれば、また、哨戒機などが潜水艦の存在を確認し、それを他の戦闘機などが攻撃するとすれば、利用する武器は魚雷ということになります。『レッド・オクトーバーを追え』などの小説で描かれているように、存在を確認され、魚雷のターゲットになった潜水艦や艦船がその魚雷の攻撃をかわすことは、現代においては、非常に難しいと言えます。デコイ(囮の物質)を撒いて回避行動をとるわけですが、潜水艦にしても戦艦や空母にしても魚雷の探知能力やスピードをかわすことは至難の業です。

魚雷の威力を考えると、やはり、隠密性を確保した潜水艦の優位は簡単に揺るがないように思われます。それ故、現代の海での戦いにおいて最大に重要となるのは、潜水艦の乗組員の、自己の隠密性を確保し、敵の隠密性を暴く能力の開発ということになります。つまり、日ごろの訓練と演習が最大に重要となるのですが、知れば知るほど、それは神経戦の様相を強めるものとなります。

日本では、教育の場において、軍事を取り上げる機会が非常に少ないために、潜水艦をめぐる戦力が海上ではもっとも重要なものとなっているという事実は、ほとんどの人が知らないままになっているのではないでしょうか。

また、日本人として知っておかなければならないものとしては、人間魚雷があります。空においては特攻が有名ですが、海の特攻、人間魚雷の存在も忘れられてはならないものです。横山秀夫の小説『出口のない海』は、人間魚雷の乗組員になった若者を描いた小説で、市川海老蔵さんを主役とした映画にもなりました。人間魚雷「回天」は、唯一実物が靖国神社の遊就館で見ることができます。

ゼミ生の論文を読んで痛感したことですが、日本人はもう少し軍事の勉強をしなければならないと思います。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





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